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抜かない歯医者さんの矯正の話 * はしがき


自分の子どもにできない治療はしない! これが私の鉄則です。

   ―はしがきにかえて―

「町の歯医者」の夢
 子どものころから住んでいた町、東京の中野区沼袋に歯科医院を開業したのは、一九七九年(昭和五四年)のことです。当時、先輩の先生方からは「中野区でもいちばん保険点数の上がらない土地だから、開業はやめた方がいいんじゃないか」とアドバイスされたものです。
 でも、普通の町の歯科医として、どこまで大学病院に近い治療内容を実践できるか、それが私の臨床医としての夢でした。
 誤解を恐れずに言うと、歯科医師もある意味でサービス業です。患者さん(お客さん)はさまざまなニーズをかかえて医院の玄関を訪れます。そのニーズにこたえて、いかに満足のいく治療を行えるか、それが歯医者の使命だと思います。私たちは、国から歯科医師免許を与えられたから歯医者なのではありません。患者さんが治療に納得し、喜んでくださってはじめて歯医者になるのです。
 町に定食屋さんがあります。いろいろなお客さんがいますから、ふんだんにお金を使える顧客を相手にする高級レストランのようにはいきません。それでも、素材を吟味し、仕入れに知恵をしぼり、調理や味つけに工夫を重ねて、限られた値段の範囲でお客さんに食べ物を提供する。これが定食屋さんの文化であり、エスプリ(フランス語でひらめき、機知といった意味です)なのだと思います。
 患者さんに気軽に足を運んでもらえるのが町のかかりつけ医だとすれば、私たち町の臨床医こそが、患者さんに望まれるエスプリをしっかりと身につけて、歯科医の文化をつくりださなければなりません。

病院のベッドはなぜあの高さ?
 インフォームド・コンセントという言葉が一般の方に知られるようになってからずいぶん時間が経ちます。医師から充分な説明を受け、患者さんがご自分の希望も述べて、納得した上で治療に同意するということですが、これだけでいいのでしょうか。
 一九六〇年頃のアメリカで、一つの医療訴訟事件がありました。高名な外科医が、乳ガンの患者さんに、乳房切除手術以外に根本的な治療法はないと説明し、同意を得て手術し、成功しました。しかし、半年後にこの外科医は訴えられ、結果的に敗訴しました。裁判所は、外科的治療の範囲でしか説明をしなかった医師に対し、放射線療法や化学療法を組み合わせる治療法など、他にも選択肢があることを説明すべきであったのに、それをしなかったのは誤りであると判断したのです。歯科の矯正治療でも、同じ問題がおこりうると考えられます。
 同じアメリカのL・L・ウィードという内科医が、一九六八年に一つの提言をしました。それがPOS(ポス Patient's Problem Oriented System)とDOS(ドスDoctor,Disease Oriented System)という考え方です。
 POSというのは、患者さんがかかえるあらゆる問題を、肉体的苦痛だけではなく精神的な苦痛も含め、あらゆる角度からケアしようという患者中心の医療システムのことです。一方DOSは、医師中心に、疾患をより確実に効率よく治療することを最大の目的にした医療システムをいいます。
 例えば病院のベッドの高さで考えてみましょう。なぜ病院のベッドはあの高さなのでしょうか。あの高さは、お医者さん、看護婦さんが治療や検査をしやすいからです。一日のうち、お医者さんや看護婦さんが治療や処置でベッドサイドにいるのは、せいぜい三〇分程度が平均的ではないでしょうか。
 入院している患者さんは、一日の残り二三時間半を、あの高いベッドの上で過ごさなければならないのです。子どもさんの場合ベッドから落ちてけがをしたり、お年寄りならばついついベッドを離れるのがおっくうで寝たきりになってしまったりと、苦痛を強いられています。
 二一世紀の医療は、ただ疾患が治ればいいといった視点からだけでなく、患者さんの現在や将来のいろいろな立場に立って、さまざまな角度から、どうケアしていったらよいのかを考えて進めるべきものです。
 歯科医療の場合も、外科的な治療を中心とする口腔外科、欠けた部分を補う技術に重きをおく補綴、なるべく自然の歯を残すことをめざす保存と、さまざまな立場がありますから、患者さんに充分な説明をして納得していただくことはもちろん、患者さんの現在と将来にどのような影響を与えるかを考えて行われなければなりません。

セミナーは若い歯医者さんでいっぱい
 私は基本的に保存の立場で治療しています。この本でとり上げる歯列不正の治療でも、私の大原則は「自分の子どもにできない治療はしない」ということです。
 治療費用が高すぎて、患者さんやご家族に負担になってはいないか?
 様子をみると言って、せっかく生えてくる歯を抜くのを待っているのではないか?
 取りはずしのできない装置を使って、患者さんに精神的なストレスを感じさせたり、歯磨きにまで支障が出るようなことになっていないだろうか?
 つねに自分自身に問いかけながら、そんなことのないように治療を進めています。
 私の治療実践もだんだん多くの方々に知られるようになり、最近は年に二十数回もセミナーを開くようになりました。そのたびに全国から若い歯医者さんたちが何十人も集まってくださいます。歯並びの矯正について、私は自分の方法と考え方が、誰のためでもなく患者さんのために、新しさにおいても水準においても日本でトップをいくものでありたいと願って、セミナーに集う歯医者さんたちにお話し、議論しています。私の夢が全国に広まっていくのはほんとうに嬉しいことです。


歯を抜かずに、取りはずしがきく装置を使い、しかも安く治療できる、そんなことをこの本で読者の皆さんにお話しようと思います。
 第1部では、「あごは拡がる」ということに着目する私の治療法の大筋と、その基礎にある考え方を書きました。
 第2部は、具体的な症例と、特にお子さんの歯並びを気にしていらっしゃるお母さんに、どんな点を注意していただきたいか、そのチェックポイントを書きました。いろいろな例がありますから、一般の読者の方は、「どれが自分(子ども)の例に近いかな」と、拾い読みしてくだされば充分だと思います。
 第3部には、歯の形を整えることも大切ですが、噛むという機能こそが、顔貌をつくる上でも、からだ全体の機能を保つ上でも、いかに重要かということを書いてみました。
 高名な歯医者さんの中には「私の治療はすごいんです」と言いながら、実は少しもその内容と治療経過を見せていない方がいらっしゃいます。大切なのは術前と術後ではなく、治療経過と治療にかかった時間です。症例ではできるだけ細かく記載しました。私の歯列不正の治療例は約二〇〇〇ほどになります。この本で紹介するのは数字的にはその一部にすぎませんが、内容的には全部お見せしているつもりです。
 私たち歯科医の持っている情報は、他ならぬ患者さんの健康のために公開しなければならないものです。
 本書を読まれた読者の皆さんが、歯並びを治すことの大切さと、それが顔全体、からだ全体にとってどんなに大きな意味を持つかということ。そしてまた、歯並びの矯正というものは、あまり大げさにお考えにならずとも、治療の時期さえ見誤らないなら案外簡単なものだということ。このことを理解してくだされば、著者として、これほど嬉しいことはありません。

  2001年 春
                                         鈴木 設矢

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